2013年1月30日水曜日

子どもたちに、「お年寄りは敬うべき」だと教えるべきか?

混雑した電車のシルバーシートの前で吊革につかまりながら、先日、ある食事会で出た世代間格差の話を思い出しました。
「高齢世代の中には、自分たちが受けているさまざまな受益は当然の権利だといわんばかりの人がいるけど、もう少し、若い世代への配慮を持ってほしいもの。」そんな話をしていた時、「でも、高齢者を敬うという気持ちを子供に教えることは大切なのではないか?」という投げかけをした人がいました。


本来、世代間格差は社会システムの話であり、高齢者を敬うことは心あるいは文化の問題で、全く別の話なのですが、今の時代状況ではそこがちょっと難しいな・・・と、複雑な気がします。

厚生労働省の試算では、団塊世代を中心とする60代以上の生涯純受益は「プラス4000万円」である一方、10代以下の将来世代の生涯純受益は「マイナス 8000万円」。将来は、若者一人がお年寄り一人を支える肩車型になる。あるいは、このまま行けばこれから生まれる子供たちは、生涯収入の半分近くを社会保障費として負担しないといけなくなるかもしれない。そんなことが言われている中で、相対的弱者の立場に立ってしまった若い層のことを顧みず、利権を手放さない高齢者がいたとしたら、それでも敬うべきなのか?と疑問を呈する意見が出てくるのも心情としては理解できる気がします。確かに、ちょっと眉をひそめたくなる高齢者もいますから。

ところで、あらためて、老人を敬愛すること、つまり敬老精神とは一体、何なのでしょうか?
私も、こどもの頃には、「お年寄りを敬いなさい」と教えられました。また、「敬老の日」は国民の祝日にもなっています。その法的定義は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」です。

日本における敬老精神には、長幼の序という文化概念が含まれているように思います。それは、年長者と年少者との間にある秩序、「子供は大人を敬い、大人は子供を慈しむというあり方」を示すものです。つまり、子供や現役世代が一方的に高齢者を敬うべきというものではなく、高齢者は敬う対象であると同時に慈しんでくれる存在であり、そのことも含めて年上の方々を敬おうという文化なのではないかと思います。そこでは、一方通行の関係ではなく、年上の者にも、敬われるにふさわしい知恵や経験、優しさ、そして相応の態度が求められて当然だということになります。もちろん、自分のことだけではなく、若い世代へのまなざしを持つことも。

その点で言えば、ひと昔前なら、「若いあなたたちも、やがて年を取るんだから」という話で、比較的わかりやすかったと思います。今日のお年寄りの姿を、明日のわが身に置き換えれば、いたわりや敬う気持ちは自然に受け入れられたかもしれません。でも、時代の変化が速くなると、一概にそうもいえなくなってきます。いまのお年寄りの今日と、これからの子供たちの明日は、あまりにも違いすぎる、ということへのイマジネーションの問題もあります。
 また、敬老には、弱者としてのお年寄りへのいたわりの心も含まれていると思いますが、今は高齢化によりお年寄りの数が多く、必ずしも弱者とは言えなくなってきています。

話は少し変わりますが、例えば会社の中でも、上司をリスペクトできない若い社員は増えています。パソコンも満足に使えず、古い価値観から変わることができず、生産性を発揮できないのに、ただ年をとっているというだけで高い給料をとっている年長者を、若い社員が否定的な目で見てしまうシーンは少なくありませんが、こういう場合、ただ年長だから敬えというのは少し無理があるように感じます。年功序列で平等に、みんなが最後まで安心して働ける時代には、「明日は我が身」が成り立ちましたが、年長者が居座れば若者の席がなくなる・・・という状況下では、それは変わってきても仕方ないと言えます。

これまではいい時代だったから、深く考えなくてもなんとなくすんできたことや、当たり前とされてきたことも、ちゃんと考えなければいけない時代になっているのではないかと思います。お年寄りを敬うということにも、それと似た側面があるのではないでしょうか。
会社が時代に合わせて採用や評価のしくみを変えていかざるをえないように、社会もしくみを変えていく必要があります。社会が過度に不公平なままでは、人を敬うという心もゆがんだものになってしまいかねません。

「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」そのことに異論はありませんが、少なくとも、「お年寄りを大切にする」という美名のもとで、世代間格差の解消を先送りすることには、多くの人が納得できないでしょう。

子どもに、正しい敬老精神や、弱い立場の人や困っている人への思いやりを教えることは大切かもしれません。でも、日本の現状をきちんと教え、これから大人になり将来の社会を担っていく彼らがきちんとものごとを考えられるようにしていくことは、もっと大切ではないかと思います。子供に、ただ「お年寄りを敬いなさい」と教えることよりも、「お年寄りを敬うべきなのか?」「それは、なぜ?」ということを、子どもと話し合えうことの方が、価値があるような気がします。

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